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京極堂シリーズの二次小説(NL)を格納するブログです。
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行葉(yukiha)
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女性
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はじめまして。よろしくどうぞ。

好きなもの:
谷崎、漱石、榎木津探偵とその助手、るろ剣、onepiece、POMERA、ラーメンズ、江戸サブカル、宗教学、日本酒、馬、猫、ペンギン、エレクトロニカぽいの、スピッツ。aph。
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『薔薇十字探偵助手の僥倖』(1)


 初対面での印象は、決して薄くなかった。
 それを兄である中禅寺や関口に話すと、何故か意外そうな顔をされてしまった。確かに、彼と出会ったきっかけである事件は、終始茫々とした不安を孕みながら、最期には燃え盛る巨大な炎という強烈なイメージを残して終えたものだったから、そんな中で彼だけ印象的だったということはない。それでも、敦子はよく覚えていた。



 昭和二十八年の二月のことだから、もう二年も前になる。真冬の箱根の山奥に取材に出向き、奇妙な殺人事件が連続して発生して、同行者共々殺人の嫌疑を掛けられた。彼は、敦子達を被疑者とした神奈川県警の刑事の一人だった。
 彼を知ってすぐ、器用な男だ、と思った。
 ベテラン風を吹かした刑事達の中、彼は敦子よりは年上だったが、やはり若く見えた。だから余計に、その妙に冷静な、どこか飄々とした雰囲気が目に付いた。無駄に調子のよい喋り方をするかと思えば、あの榎木津探偵が事件の謎を解決した時には、警察内でただ一人積極的に探偵に着いて行き、さらに探偵の難解な「説明」を理解するという、高い順応力と分析力を見せた。何より、彼は公平だった。誰の話も軽んじなかったし、事件に関係があると思われれば、禅の教義についても熱心に話を聴いていた。上司のやたらに威張り散らし、都合の悪い証言には耳を塞ぎたがる態度にため息をつきながら、彼は真摯に事件に向き合っていた。
 そういえば、「市民に好かれる警察官を目指す」などと、懐こい顔をして軽々しく信念を披露したりもしていたっけ。
 敦子は、彼のようなタイプの刑事を見たことがなかった。知り合いに刑事は数人いたし、その知り合いもまた極めて個性的な性質の刑事ではあるのだが、その人物でさえ、刑事然、としたところはある。彼には、そのいわゆる刑事っぽさがなかった。決して威張らず、腰が低いとまで言えそうな応対の仕方をしたし、脅迫又は暴力的な行為は大嫌いだと常々語っている。(というより半泣きで訴えている。)刑事っぽさとは粗暴さだと思っているわけでは、決してない。ただ、彼が、刑事たるものの像からずれているのだ。
 思うに、彼は「権力」という言葉から遠い。「柳に風」の男に、何の力が要るだろう。
 そんなのが、国家権力を行使する警察にいたのだ。
 彼が警察を辞めて榎木津に弟子入りをしたと聞いた時、敦子はほんの少しだけがっかりした。もったいないな、と思った。そして同じくらい、笑えもした。 
 刑事時代と比べると、現在の彼は性格的にどこか吹っ切れた、というか振り切れたところがあるのを感じないでもない。元来の素養だったのか、それともあの探偵のエキセントリックな部分がうつってしまったのか。幇間のようなお調子者振りには磨きがかかり、一方で態度や口振りには老獪さまで感じられる。
 探偵への転職は、いつだったか少し酔った彼が漏らした言葉をまとめると、「権力」を行使するステージにいることで己の「立ち位置」が不自由になることに我慢できなかった、ということなのだろうと思う。それはつまり、若者ならば誰もが抱える旧制度へのアレルギー反応、と見ることもできたかもしれない。しかし、そうだと決め付けるのが気が引ける程度には、敦子はもう少しだけ彼を評価している。
 日頃の彼は、ケラケラと笑いながら口に出すことはいい加減だ。そのくせ、いい加減なことはしないだろうと思う。どんなに彼の上司である探偵に虐げられようとも、すべてを捨てて逃げ去る、という展開は敦子には想像できない。
 実際に、薔薇十字探偵社への依頼経験があり彼の友人でもある本島によれば、彼は探偵業務においてかなりの調査能力を発揮している。敦子自身も、かつて事件に巻き込まれた時には世話になっているし、催眠術にかかって行方をくらましていた時分にはそれこそ東奔西走で捜索していたと聞いた。(兄や青木からの又聞きだから、実際彼がどう動いていたのかは知れないのだが。)
 そして、その事件の終幕で彼が見せた一面に、敦子は心底驚いた。
 箱根の事件の数ヶ月後のことである。他人の人生を弄ぶ悪趣味極まりないゲームがあった。
 終幕の舞台であった伊豆・韮山で、彼は事件の首謀者の一人に激昂し怒鳴った。いつものへらりとした笑い顔が冗談であったように、彼の表情は悲壮だった。どうしようもなく怒っていた。
 彼がああいう顔をすることを、敦子は知らなかった。その時の敦子はかけられた催眠から放たれたばかりで、青木に背を支えられてやっと立っている状態だったが、彼が乱れるのを目にしてさらに不安を煽られた。思えばあれが、彼の二面性をはっきりと認識した最初だったのかもしれない。
 裏表のない人間など知らない。自分も、兄だって、あの奇矯な探偵だって、いくつもの仮面を付け替え生きているはずだ。しかし、敦子が彼について思うことは、「裏と表」という言葉とは少しだけイメージにずれがある。
 内と、外。その言葉がイメージに近い。
 裏と表が返るのではない。外に出ていることと内に篭っていること、それを、益田は器用に、時には不器用極まりなく、己の体を介して交差させている気がする。悲しくて辛くて、腹が立って仕方なくなって、切羽詰ってやっと、彼は隠していた内側を放出する。
 内側にあることこそが本音だというのは、手前勝手の憶測だ。外側も内側も、裏も表も、同じ人物であることに変わりない。どちらかが善で悪でと、決めるのもおかしい。ほんの僅か垣間見えた彼の内側ばかりで「本当の彼」を見た気になるのは愚かだし、外面ばかりで人となりを判断するのも違う。人との関係など、見えるもの、わかることを、信じることでしか成り立たないのだと敦子は思う。
 つまり、彼について、もちろん彼に限らずそうだが、見えている彼を彼だと信じて、敦子は親交を結んでいるに過ぎないのだ。
 会えば笑って挨拶をして、彼の周囲で起こる滑稽譚を聴き(環境的に話のネタは尽きないらしい)、何となく楽しい時間を過ごした。だいぶ前のことだが、彼から誘われて二人きりで食事をしたこともあった。何かのついでのような誘いだったから、こちらも軽い気持ちで了承した。その時はどうなることかと思ったが、いざ二人で時間を過ごしてみればどうということもない、兄の家や探偵社で顔を合わせた時とさして変わらぬ「楽しい」時間を過ごした。
 そういった交際を通じて現在見えている彼に、敦子は何の不満もない。友人といえば友人だし、知人といえば知人という程度の、さらりとした手触りの関係である。
 これだけ、改めて彼のことを考えることになったのだって、偶々だった。
 この、雨のせいだ。
 考えてみたらなかなか面白いと思ってしまったのだって、きっと、この冷たくて白い雨のせいなのだ。
「あららよく見たら、随分濡れてますね」
 声に横を向けば、益田がしげしげと敦子を見ていた。この男が珍しく無遠慮に自分を見詰めてくるのも、また、雨のせいだ。
 取材の帰り、敦子は雨に降られた。取材、と言っても、誰かにアポをとるような公式なものではない。今関心を持っている事件に関係があると思われた土地へ行ってみようと思っただけである。結果的に、本当に「行っただけ」になってしまった。雨のせいだ。
 着いた時にはすでに空の色は濃く、もうじき雨が降ることは知れたから、すぐに帰ろうと思っていた。そこで、道に迷ったのだ。
 それは実に敦子らしくない展開だった。どこかのカストリ雑誌の編集者ではあるまいし、と思う。敦子はその編集者と比べるまでもない極普通の方向感覚を持っている。しかし、今日は何故だか帰り道の方角がわからなくなったのだ。まったく本当に、自分らしくないと思う。
 いよいよ本降りになって、敦子は偶々目に付いたシャッターの降りた商店のビニール屋根に滑り込んだ。そこにいたのが、益田である。
 互いの勤め先は近い。ここが社のある神田であれば、まあこんなこともあるだろう、と思えたはずだ。しかし、今二人がいるのは、勤め先からも住まいからも遠い土地だった。
 益田は一言目に、凄い偶然、と呟いたが、そうとしか言い様がなかった。お互いに酷く驚いて、一瞬、まじまじと見詰め合ってから、何だかぎくしゃくとした挨拶を交わした。
 それが、数分前のことである。
 雨は止む気配を見せず、益田はこの偶然を大袈裟なほどに喜んで見せ、それからは世辞とも洒落ともつかぬことをどこか楽しげに喋った。ケラケラと笑うたび、吐息には白く色がついた。
 益田に言われて、自分の姿を見てみた。コートの肩は濡れて色が変わっているし、前髪からはゆっくり水滴が下りて、毛先で雫をふくらませている。あまり濡れた気はしていなかったが、外から見れば十分降られているのだろう。
「大したことはないですよ。中まで染みてはいませんし」
 冬の、もしかしたら雪に変わりそうな雨だから、かなり寒くはあった。それでも、濡れているのは髪とコートだけで、水で体温を奪うというほどのことではない。
「いやぁでも、髪とか拭かないと」
 身体冷えちゃいます。そう言いながら益田は外套のポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは、四角に畳まれた紳士物のハンカチだった。
「僕のでよければどうぞ。ちゃんと洗濯してますし、これ、今日は使ってないですから」 
 濃いブルーのチェック柄を、趣味がよいと思った。さっき益田が自分で使っていたものとは違うものである。洗濯でよれている様子もなく、おろしたてにも思えた。
「ああ、大丈夫ですよ。自分の持っていますから」
 バッグを開けて、ごそごそと自分のハンカチを取り出した。先に男性からハンカチを出されたことが、ほんの少し気恥ずかしい。前髪と肩を、適当に拭った。
「益田さん、いつもハンカチ二枚持っているんですか?」
 益田は独身で、事務所に泊まることも多いと聞く。さほど几帳面という印象は持っていなかった。
 益田はぱちぱちと瞬きをすると、薄い唇でにっと笑った。
「いつ可憐な女性が雨に濡れて困っているかわかりませんからね。常にこうやってハンカチは二枚携帯しているわけです」
 彼の特長のひとつである軽妙な笑い声が混じった。
 敦子もつられて、少し笑う。
 何となく、何となくだが。このハンカチは、益田にとって特別なものなのではないだろうか。そんなことを、敦子は思った。
「綺麗なハンカチですね」
「そうですか?」
 まあ気に入ってはいるんです。
 そう言いながら、無造作にポケットに戻す。
「女性からの贈り物ですか?」
「・・・何でです?」
 それは、そんなことがあるわけない、と一蹴したいような「何で」にも聞こえたし、どうしてわかるんだ、と驚愕したような「何で」にも聞こえた。
 どちらなのかもわからず、結局、敦子は後悔した。悪い癖だ。記者の性なのだろうか。野次馬とは、あまり思いたくない。疑問が湧けば、後先を考えずに質問してしまう。
「まあ、随分前に」
 ぽとりと零れ落ちたような声に、敦子は顔を上げて益田を見た。益田は痩身だから大きく見られないが、上背は意外にある。視線を重ねると、益田はふにゃりと笑った。目尻は鋭いのに、笑い顔はいつも懐こい。
「仕事の依頼人です。大金持ちの奥様で、ああ、僕よりずっと年上ですよ?オバサン。おうちの中にでっかいグランドピアノがあって、大豪邸でしたねぇ。その方から、礼金と一緒にいただいたんです。僕ぁそういうの多いんですよねぇ。いつだったか、依頼人の方から豪華なクッキーの詰め合わせを渡されて。榎木津さんにどうしてクッキーなんだもっといいもの献上しなさいこのオバサンタラシ!と怒鳴られました」
 理不尽ですよねぇ、と目尻を擦って泣き真似をする。
 榎木津の物真似がやけにうまくて、敦子はくすくすと笑った。前髪から数滴、雨の雫が落ちた。
 誤魔化された、と思った。それを確信した時点で誤魔化されてはいないのだが、もう追求したい気持ちはない 。
 器用な男だ。同時に、多くの男が抱える種類の不器用さを、益田もまた抱えている気がした。それも、なかなか重度の。敦子は自分のことも、人の心の機微に敏感ではないと思っている。だから、益田に感じた不器用さの正体についても、考えが及ばぬ範囲のことだと思った。
「ああ、まだ」
 益田の声の後、ふいに視界に影が差した。益田の外套の袖が、目の前にあった。青いチェックのハンカチが、敦子の髪を拭っていた。
 まだ――濡れている、と続けたかったのか。
 優しく丁寧な手つきながら、案外強い力がかかって、敦子は僅かに俯いた。頭を撫でられているようでもあり、しかし、母や義理の姉の手を思い出すには、少し重い。
 ああ、男の人の手だ。
 それを思った途端、この状況から逃れたくなった。
「益田さん」
「はい?」
「もう大丈夫、ですから」
「あ」
 原因である益田の方が、何故か恥ずかしそうにああとかご免なさいだとかを早口に言った。きっと、自分が恥ずかしそうな顔をしたのに違いない。そういえば少し、顔が熱い。
 妙な雰囲気になったものだ。弱りきった気分で、雨を眺めた。
 雨が降って、益田と遭遇して、二人でいたから彼について少し考えて、そうしたら案外面白いと思ってしまって―――きっと、雨のせいなのだ。
 益田も、敦子と同じように、ビニール屋根がかからぬ景色へ視線を向けていた。
 雨は、見るからに冷たそうに白く、二人を囲っていた。
 何だか――。益田が、ぼんやりとした声を出した。
「檻の中にでも、入れられたようですね」
 檻、か。
「文学的な表現をしますね」
 そう言うと、益田は変な声で笑った。
「似合いませんねぇ、僕には」
「そんなこと、ないですよ」
 本当にそう思った。
 数秒間、どちらも口を利かない時間があった。
 白い雨が、さあさあと落ちていく。
 止みそうにないですね。
 先に声を出したのは益田で、敦子も丁度、同じことを考えていた。
「走っちゃいましょうか」
 軽い口調に、敦子もまた、少女のように答えた。
「走っちゃいましょう」
 即答すると、益田は可笑しそうに表情を崩した。
 その笑い顔は、敦子にとって少し意外なもので。
 虚を突かれ、手首を掬われた。
 ぐん、と引かれる。
「えっ?」
 引かれた先は、白い雨の向こう側だった。
 自分の手首を掴む益田が走るから、自分も走るしかない。
 頬に雨粒が当たる。不透明な景色が、目に入る雨のせいでさらに霞んだ。
 ストッキングの足に、ぱしゃぱしゃと水しぶきがかかる。
「あの!どこまで走るんです?」
 何とも、完全に、非合理的な行動だった。向こう見ずだ。幾らなんでも、益田がこんなに唐突に走り出すとは思っていなかった。
 駅までは走っても十分はかかりそうだし、近くに知り合いの家もない。タクシーを探すなら大きな通りを目指すべきだが、益田が引っ張る方向はどうも違うように思えた。
 敦子らしくない。
 益田らしくもないように思えたが、どうなのだろう。
 この人のことなど、やっぱり何もわからない。それを、しみじみと実感した。
 引かれていない方の手で目を擦って、益田を見た。灰緑の外套の肩は、濡れて墨色に見えた。掴まれた手首に伝わる体温は、心配になるほど冷たい。ただ、案外、力が強い。真っ直ぐに前を向く彼の表情からは、考えていることなど読めない。濡れた長い前髪をかきあげる仕草は、少し気障ったらしいと思った。
「あと20メートル!」
「ええっ?」
 意味がわからず、聞き返す。
 脚は止まらない。ぴしゃぴしゃと、雨粒を跳ね散らして走る。靴が濡れることも気にしていられない。
 息が切れた。どくどくと、心臓の音が煩い。
 益田が空いている手で、前方を指差した。
「喫茶店!あそこにいても風邪ひきますから」
 お茶、しましょう?
 振り返った益田は、寒さのせいか頬も鼻も少しだけ赤くしていた。吐息は真っ白、顔は、悪戯を思いついた子供みたいに、どこか意地悪く、でも楽しそうに笑っていた。
 ――本当に、榎木津さんに似てきたな。
 何故ふいにそんなことを思ったのか、考える余裕などない。
 喫茶店の扉まで、あと5メートル。
 敦子は少しだけ悔しい気持ちになって、奢ってもらっちゃおう、と心に決めた。


(たぶんもう少し降り続く)

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