疲れと眠気で気だるい身体を意志の力で動かして、服を着る。明かりを点けなくても、朝の日がカーテンの向こうから緩く部屋を照らしていて、どこに何があるのかは確認できた。
靴は寝台の足下に、ブラウスと下着は床に。スカートとストッキングは、と捜してみて、榎木津が寝ている方の寝台の下にあるのを見つける。ほとんど思考を手放しながらも足音を殺し、下着にブラウスをひっかけただけの姿で寝台をまわった。
見るともなく目に入った昨夜の情事の相手は、端正な瞼を清潔な枕に沈めて眠っている。
きれいだなあ。
男が目を覚ます前にさっさと着替えるつもりが、彼の美しさに見惚れるまま膝をついて眺めていた。
寝台に触れて揺らすのはまずいと思い、床にぺたんと座り込む。
柔らかい羽布団にくるまれて眠る榎木津は、感動的なほどに美しかった。触り心地の良い髪は、花弁のように顔の周りのあちこちに散り、服を着ていないせいでお伽話の妖精のようにも思える。健やかで、幸福そうで、どこか神聖でもある。
日頃の言動をいやというほど知っている益田は、榎木津を崇拝したりやたら憧れることはない。もしそうだったなら、きっと身体は繋げなかっただろうと思う。それでも、益田にとって目の前の男が、どこまでも特別な存在であるのは実感できる。
きれいだ。健やかだ。
こうしてすやすやと、幸福そうに、
許せないことに怒鳴ることなく、恐ろしい情景に目を霞ませることなく、いてほしいと心から思う。
榎木津を崇拝する趣味など自分にはないと思う。けれど、今この瞬間の感情は、敬虔な祈りと限りなく似ている気がした。
足先が冷えてきた。
己のつま先に触れて、身支度の必要性を思い出す。
着替えなきゃ。立ち上がりかけた時だった。
「まだ」
薄闇に蕩けた低い声とともに、腕を引かれた。
わと思わず声が出てそのまま寝台に倒れ込むと、そのまま榎木津の片腕によって強く拘束された。ブラウス越しにもわかるほど体温が高くて、思わずため息が出てしまう。
「まだだよ」
覚醒と睡眠を彷徨いながら駄々をこねる子供のようだった。ぎゅうと益田の肩を包んで引き寄せる。まだ、起きるなということらしい。
益田ははいはいと応えながら、榎木津が巻き付けている布団を引っ張り上げ彼の腕の中に潜り込んだ。すぐに、気に入りのぬいぐるみであるかのように抱き込まれて息苦しい。
「お前、ひんやりしてるぞ」
「すみません」
「んん」
今にも寝入りそうな声色に安堵していると、榎木津の手がもぞもぞと動いて片足の膝裏をぐっと引き寄せられた。そのまま大きな掌がゆるゆると脚を撫でるので、戸惑うと同時にぞくりと痺れる。
しかし、甘い痺れはそれまでで、大きな掌はするりと下に降りた。
「冷たい」
長い指は益田の爪先を包み込む形で落ち着いた。
「えの」
「寝ろ」
冷えた爪先は、榎木津の体温を吸って温まっていった。
しばらくそうされて、やがてことりと指が放れた頃には、穏やかな寝息が益田の前髪を擽っていた。
37度の温もりは息苦しくて窮屈で、益田はそっと榎木津の腕をずらし脚を伸ばして絡めた。すると、すっかり寝入っている癖に、長い腕がまた締まる。
あ、と益田は気付く。この温もりと重さ息苦しさに対抗できるものを、自分は何も持っていない。
卑屈さも、嘘も、誤魔化しも、この抱擁の中で何も意味がない。与えられて、そのまま身体に浸透していくばかりだ。優しさで身体が満ちて、37度に同化する。
温かい。
自然と溜まっていた涙一粒を落としてから、益田は浅い眠りに落ちた。
(終)
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