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京極堂シリーズの二次小説(NL)を格納するブログです。
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行葉(yukiha)
性別:
女性
自己紹介:
はじめまして。よろしくどうぞ。

好きなもの:
谷崎、漱石、榎木津探偵とその助手、るろ剣、onepiece、POMERA、ラーメンズ、江戸サブカル、宗教学、日本酒、馬、猫、ペンギン、エレクトロニカぽいの、スピッツ。aph。
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★中禅寺夫妻
※4444hitキリリク



――硝子細工のように透明な瞳に。

――鉱石が濡れるような、黒い目に。

見蕩れたことだけ認めよう。

 *

 その日、中禅寺は妻の顔色が朝からずっとよくないことに気付いていた。食事や掃除の時に、彼女の大きな目がふと苦しげに細められたり、廊下を歩く足音のリズムが僅かに乱れるのにも気付いていた。
 だから、
「千鶴子、身体の調子がよくないのなら寝ていたらどうだい」
 中禅寺は本から視線を外し、帳場まで茶を入れ直しに来た妻に声をかけた。
 千鶴子はぼんやりとした、特に何の感情も浮かばぬ顔で夫を見詰め、それからやっと唇で弧を描いた。普段なら白に朱を一滴混ぜた色の頬が、今日は紙のように青白い。唇に乗る薄い色の紅さえ赤く見えた。
「いつもの、軽い貧血ですわ」
「どこか痛むんじゃないのかね」
「ちょっと、頭痛があるだけです」
 状態である眉間の皺をさらに深くする夫に、千鶴子は努めて笑って見せた。実際にそんなに心配してもらう必要はないと思ってもいた。彼女にとって、この貧血と頭痛は毎月のことであって、そのことは長年一緒に暮らしている夫も知っている。中禅寺は不服そうに一度ため息をついた。
「無理はするな」
「はいはい」
 千鶴子は口調だけは軽やかに、しかしいつもよりは弱々しい声で返事をしてから、そっと立ち上がった。そのまま母屋に入ってから僅かして、たた、と足音が乱れるのが聞こえた。

 *

 店の扉が乱暴に開き勢いが余ってガチャンと音を立てバウンドしたのは、昼過ぎのことだった。
 静けさが冷え固まった店内に、高熱量のエネルギー体がなだれ込んで空気の流れが乱れる。所狭しと並べられた本棚の間を、長身の男が大股の早足で突っ切り、帳場の前でぴたりと停止した。
「やあ!こうして見るとお前、蕎麦屋の置物に似ているな。でもあれは客を迎えるにふさわしくにこやかだったぞ、ちゃんと見習え」
「和装で座布団に座っていれば何だって同じなんでしょう、榎さん」
 本から視線を上げれば、気品のある唇に浮かべた下品な薄ら笑いが目に入った。今日の榎木津は丸首のシャツに薄手のカーディガンを羽織ったラフな格好だ。それはそれで姿のよい体躯に似合っていて、色素の薄い皮膚や髪とあいまって海外映画の俳優のように見える。
 中禅寺の背後にある母屋に繋がる硝子障子が静かに開き、千鶴子が顔を覗かせた。扉の開閉の音を聞きつけたらしい。誰が来たのかも予期していたものらしく、榎木津を認めると驚くことなく穏やかに微笑んだ。ただやはりその顔色には血の気がない。
「いらっしゃいませ」
「やあ千鶴さん!本馬鹿亭主に愛想を尽かしたら、隣の蕎麦屋に売ってしまうがいいよ」
「まあ、ちゃんと値が付けばいいですけれど」
 ふふ、と口を隠して笑う様は淑やかだが、口にしている内容は穏便ではない。中禅寺は片眉を吊り上げ己が妻を見やってから、はしゃぐ榎木津を無視して店の扉に札をかけに立った。

 榎木津が振った蕎麦屋の置物について中禅寺の長広舌が始まり、榎木津が無遠慮な大欠伸をした頃、廊下から夫を呼ぶ千鶴子の声があった。あなたあなた、と呼ぶ声が、急かす色を含んでいた。
「お客様ですよ」
 客人であれば母屋に通すところを、あえて呼んでいるということは、
「ああ、客か」
「客!?本を買うのか!?」
 本屋の客が来るところに遭遇するのは初めてだと冷やかす榎木津を一瞥して、中禅寺は大儀そうに腰を上げた。
 店に出て顔を見れば隣町から来ているという常連の上客で、初老の紳士然とした男だった。月に一度は現れ、新書では手に入らなくなった分厚い古書を数冊時間をかけずに選び、帳場で置物のように本を読み続けている店主とも愛想よく言葉を交わす。
「お休み中を誠に申し訳ないことをしました」
「いいえ、怠けているだけなのですから、いつでもいらしてください」
 店主の言葉はそう間違っていないのだが、紳士はお愛想と受け取ったのだろう、にっこりと笑って礼を言い店を後にした。
 中禅寺は客を見送り、再び店の扉に札をかけた。もう一人の客を放っておくわけにもいかない。寝るか馬鹿話をするばかりで接客のしがいもなければしたいとも思わないが、旧友もまた客には違いない。
 しかも、今母屋にいるのは妻の千鶴子と榎木津だけである。
 母屋の廊下から千鶴子の足音がした。中禅寺は読みかけた本を片手に、母屋に入った。

 座敷から、堅いもの同士がぶつかる音と、人が大きく動いた気配があった。
 廊下を行く足を僅かに速める。
 厭な予感、などではない。確信していた。
 ――よくない事が起きている。
 無神経なほど春らしく和やかな庭を横切る。
 まずは見慣れた景色があった。座敷の開け放しの障子から、茶色い髪の頭がはみ出ている。
 榎木津が、片肘で上半身を起こして仰向けに倒れている。片腕には、何かを抱えていた。
 足が進み、視界の範囲が変わる。見えてくる。誰が何をどうしているのか。
 艶やかな結い髪から零れ落ちた、幾筋かの遅れ髪。藤色の着物の丸い肩。
 庭を背にし、座敷の前で立ち止まる。
 目と喉の水分が一気に蒸発するような感覚に抗って、中禅寺は漸く声を出した。
「どうした」
 微かに掠れてはいたが、予期したよりは低い落ち着いた声が出た。

 半透明の眼球から紡がれる人形の視線に、白い顔をした女が苦しげに喘いでいる。

 榎木津は上空を仰ぐように顔を上げ、力のない視線を中禅寺に投げかけた。感情は読み取れないが、見慣れぬ表情だった。その胸には千鶴子が不安定な位置でもたれかかり、その体がずり落ちないように長い腕が彼女の肩を抱いている。
 苦痛を語るように細められた千鶴子の目は、榎木津から逸れてからゆらゆらと彷徨い、夫を見つけられずにいるようだった。もの言いたげに震える唇は血の気がなく、乗せられた紅だけが、妖しいまでに濃い。
「千鶴子」
 蒼白の女の名を呼ぶことはできても、どうしようもなく近寄り難かった。雑念が足にまとわりついて、それを引きずりながら妻の脇に膝をつく。もう一度名を呼び問いかければ、か細い声が返った。
「あ――す、みませ・・・」
 擦り切れた声は誰にともなくそう言って、緩慢な動きで俯いた。
 顔を上げるだけのことも辛いらしい。
 俯いて露わになった項の皮膚が異様なまでに白い。榎木津の肩に置かれた手もまた白く、体を支えようと突っ張っているようにも、または縋りつくようにも見えたが、どちらにしろ完全に意識を手放しているわけではないようだった。
「落ち着けよ亭主馬鹿」
 中禅寺を見る榎木津の顔は、先の表情とは変わって精悍だった。千鶴子を抱きとめるように回していた腕は、今は片側の肩を支えるだけにしている。
 中禅寺は落ち着けと言われるほど自分が動揺しているつもりはなかったが、常の自分と比べることはできない。
「急に倒れた」
「わかってるよ」
 二人の周りは静かな乱れ方をしていた。淹れ直したばかりだったらしい湯呑みは座卓の上を濡らしながら転がり、茶が入った急須は榎木津の腰の辺りに転がって、微かに湯気を立てている。盆と空の湯呑みは、どういう訳か床の間の方まで転がっていた。そして――
 千鶴子を支えている榎木津の腕は濡れて、袖の色を変えていた。
「おい」
 怒鳴られて、中禅寺は声の主と目を合わせた。実際には榎木津は怒鳴ってなどいない。いつもの彼なら考えられないことだが、先ほどからずっと低く抑えた声で話している。
「呆れていないで布団だ、布団」
 そう言うと、千鶴子の顔を覗き混むようにして様子を見ながら、身体を捩った。起きれるかい千鶴さんと気遣わしげに声をかけると、こくんと頷くが顔は上がらない。それでも、きちんと反応するところを見ると徐々に頭に血が巡ってきたのかもしれない。
「何処にあるんだ布団」
「いいよ、僕が敷いてくるから。榎さん、火傷は?」
 榎木津は自分の腕を見ようともせずに、口を尖らせて答えた。
「熱い。ヒリヒリするから後で冷やす」
 後回しでいい、と言いたいのだろう。
「千鶴子が立てないようなら、運んでもらえますか」
「いいよ」
 立ち上がる中禅寺に、榎木津は揺るがぬ真っ直ぐな視線を投げた。

 布団を敷き終えたところで、千鶴子は自力で歩いてきた。足元はまるで覚束ず、榎木津が両肩を持ってやっとという感じではあったが、夫と目を合わせて謝ったり、榎木津に礼を言えるくらいには快復していた。
 そうして今、中禅寺と榎木津は風呂場にいる。
「あのなあ、何が悲しくてお前のような陰険亭主馬鹿と一緒にお風呂なんだ?」
 長い身体を折り畳んでしゃがみ、水道から絶えず流れ続ける冷水に左腕の肘から下を濡らしながら、榎木津が憮然として喚いた。中禅寺は榎木津を監視するように、すぐ後ろで腕組をして立っている。
「物騒なことを言わないでくださいよ。用があるのは風呂じゃなくて水道だ」
 千鶴子を寝かせた後で榎木津の濡れた腕を見ると、肘の辺りが赤くなり僅かに熱を帯びていた。ただでさえ色素が薄いので痛々しいのだが、本人は冷やせば治ると言ってきかない。
「すまない」
「別に謝ることじゃあない」
 説明を聞かずとも、中禅寺は何が起きたのかはわかっているし、榎木津も説明は不要だとわかっていた。
 榎木津の茶を淹れ直していた千鶴子が立ち上がった瞬間に貧血を起こし、急須に入っていた淹れたばかりの茶がかかったのだろう。ただ、それが千鶴子を庇ってのことだったのかどうかだけは知れない。しかし、それはどちらでも同じことだった。
「ありがとうございました」
 その言葉は、水音にかき消されることなく榎木津に届いた。振り返った榎木津は訝しげな目で中禅寺を見ていたが、それから何か思いついたように笑った。
「礼は千鶴さんから言われたからいい。それより、お前、僕に礼を言うなんてどれくらい振りなんだ?学生時代か?思い出してやろうか?」
 そう言って、大きな目を半分にして中禅寺を見上げた。口元には、愉快でたまらないという風の子供っぽい笑みが広がっている。榎木津の問いかけの答えなど、尋常でない記憶力を持つ中禅寺がわからないはずがなかった。だからこそ、眉間の皺が深くなり目付きに凶悪さを帯びさせた面相で、結構です、と言い放つ。
「そろそろ冷えたでしょう。薬塗りますよ」
「おいお前がやるのか?どうせなら千鶴さんがいい」
「知っていたが、あんた本当に遠慮がないな」
 蛇口を止め、手ぬぐいを差し出してやると、榎木津は濡れた腕を拭きながら中禅寺の顔をじっと見た。
「お前、怒っているのか?」
「怒っていません」
「怒るなよ?」
「怒りませんって」
「じゃあやきもちか」
「――無遠慮にも程があるぞ」
 恨み狂った幽鬼の如き禍々しい面相になった中禅寺を面白そうに見ながら、榎木津は笑った。
「頭にね、お盆が振ってきたんだぞ。ゴンって」
 予想外の話の展開に、凶相の男から毒気が抜ける。天下無敵の探偵の頭上に盆が落ちて畳を転がる情景が頭に浮かんだ。
 それから榎木津は、ぴたぴたと火傷の箇所を叩きながら穏やかに言った。
 最近、お前んちでご飯食べてないなあ。
「天麩羅がいいかなあ。野菜の掻き揚げが食べたいって言っておいて」  
「伝えておきます」
 狭い脱衣所で、いい歳をした男二人は、顔を見合って笑った。

 *

 大失態だった。
 そっと寝返りを打つと、頭の芯がうずく。視界ががくんと落ちた感覚があって、一度目を瞑った。身体が熱い。それなのに、寒気がある。
 月のものに伴う体調不良が、千鶴子の場合普通よりも重たかった。酷い頭痛や貧血を起こすことは珍しいことではない。それでも、人前で倒れたことは初めてだった。それも、家族にならまだしも、夫の古い友人の前でである。よりによってあんな――
 頭痛が酷くなった気がして、思考を中断する。
 布団に寝かされてから、どれくらいの時間が経っているのか、いまいちわからなかった。枕元に時計が置いてあるはずだが、重たい頭を動かす気になれない。部屋は薄暗いが、障子からは明かりが差しているから、そう長く眠っていたわけではないらしい。
 夫はどうしただろう。榎木津は帰っただろうか。
 目の前にあった、己の手を見た。この力の抜けた小さな手は、夫以外の男に触れた手である。起き上がることもままならないこの肩は、夫ではない男の腕に支えられていた。
 頭の奥が、ずくずくと痛い。
 
 茶を替えようとしたのだった。夫は店に出ているし、勝手知ったる仲とは言え客人を一人で放置するのは気が引けた。
 新しくいれた茶を持って座敷に向かえば、榎木津は直前まで寝ていたのかぼんやりとした顔で起き上がっていた。二言三言会話をして、立ち上がろうとした時だった。視界が大きく傾いだ。身体を支える術を失くして、それから――。
 そこから先の記憶は欠陥だらけだった。肩を強く掴まれた感触があって、千鶴さん、と幾度か強い口調で呼ばれていた。起き上がらなければという考えだけで顔を上げると、視界はまだぐるぐると回っていて、出鱈目な景色の中に硝子細工に似た瞳が――奇妙なことだが、千鶴子は今の今まで、それが榎木津だと思ってはいなかった。
 廊下から聞こえてきた夫の足音に、千鶴子はほとんど反射的に上半身を起こした。途端に酷い眩暈と頭痛が起きて、手で頭を支えるようにして蹲る。
「千鶴子、どうして起きているんだ」
 叱咤の声は部屋に入ってきた瞬間に飛んだが、近寄って肩に触れる手は優しかった。水を飲むかと問われて頷くと、枕元にいつの間にか置かれた水差しから水を汲み渡される。口に含むと強烈な渇きを思い出して、一息にコップの半分を飲み干した。
「今、何時ですか?榎木津さんは帰られました?」
 人心地ついて布団の脇に座った夫に尋ねると、何故か面白くなさそうに片眉を上げた。
「4時前だよ。榎木津は帰った」
「そうですか」
「覚えているかい?」
「だいたいは。榎木津さん、怪我などされていませんか?」
「茶がかかって火傷をしていたから、手当てはした」
 千鶴子のただでさえ善くない顔色が、悲壮な表情によって強調された。中禅寺は宥めるように優しい手つきで、再び妻の身体を布団に倒した。
「腫れてもいなかったから、すぐ治るだろう。天麩羅が食いたいと言っていた」
「天麩羅?」
「気にするなということさ。今度来た時にでも作ってやってくれ」
 千鶴子は安心したようにふっと息をついて、それは奮発しませんと、と言った。漸く微かに笑った妻を見て、中禅寺は深く息をついた。
「で、お前は平気なのか」
「ええ。榎木津さんのお陰で頭も打っておりませんし」
 そう言うと、中禅寺の目元がほんの僅かにきゅと縮まった。それは、家族のように毎日顔を合わせる間柄でなければ気付けないほどの些細な変化だった。
「怒って、いるんですか?」
 先にも同じことを別の人物から言われている。だから、先と同じように返した。
「怒ってないよ」
 質問をした二人の人物が自分をどう見ているのかわからなかったが、自分では怒っているつもりはなかった。怒る理由もないのだ。榎木津は卒倒した千鶴子を身を挺して抱き止めたわけで、卒倒で一番気を付けるべき頭部への打撲を回避できたわけだし、さらにあの火傷も榎木津がいなければ千鶴子が被っていたのだろう。榎木津には感謝こそすれ、怒る理由もない。また、千鶴子に対しても――
「榎木津に、怒るなと言われているしね」
「それは…本当は怒っているということではないのですか?」
 からかう口調だが、声には少しの躊躇いがあった。

「そりゃあ、そうさ」

 正座していた膝を起こし、千鶴子の顔の横に片手をついた。
「朝からずっとふらふらして、気分も善くないのだろうに、寝ろと言っても平気だと言うし」
 身を乗り出し、千鶴子を正面から見下ろす。
 黒い瞳が豊かな睫の縁取りの中で、いつになく心細げに揺れた。
 そっと、指を伸ばす。
「ほんの僅か僕が目を離したら」
 指の腹で撫でた頬はさらさらと乾いて、少し熱い。指はそのまま肌を離れることなく、首筋に降りた。
「あの様じゃあないか」
 首筋を辿る指が、すっと着物の襟に入った。
 こくりと、千鶴子の喉が上下するのが見てとれた。
 まるで脈でも測るように、その指は首に宛がわれたまま離れない。
「ご、めんなさい」
 形のよいふっくらとした唇から零れた謝罪は、聞く方に罪悪感を抱かせるほどに掠れていた。
 触れれば冷たそうなほどに白い頬は本当は僅かに熱いくらいで、気だるく伏せられた薄い瞼のその奥の目は、不埒なほどに絶えず濡れている。

 ――怒る道理はないけれど。

「そういう顔を近くで見たら、何年も一緒に暮らす僕だってぞくっとくるんだぜ?」
 千鶴子は伏せていた視線を上げ驚きの表情で夫を見詰めてから、恥じらう仕草で顔をそむけた。
「妻が他の男と見詰め合うのを冷静に見ていられるほど、僕は冷たい夫じゃあないよ」
 妻が旧友の男の胸に縋ることも、旧友が妻を庇って負った火傷も、平静に見ていられるはずがなかった。
 千鶴子はもの言いたげに幾度か唇を震わせてから、やっと言葉にした。
「見詰め合ってなんて――」
「本当に?」
「ええ」
 触れた時と同じ優しさで、中禅寺の指が離れた。
 身体を起こし、元の通りに正座する。
 冷たく感じた指先も、離れてしまえばそれが温かいものだったのだと千鶴子は知った。忘れていた寒気が蘇ってきたのも、身体が離れたからなのかもしれない。
「それとも――妻が倒れたという時に――」
 躊躇いがちに口を開いた夫は、薄暗がりなのとぼんやりとした頭痛ではっきりとは見えないがそれでも確かに、口元だけで笑っていた。
「やきもちなんか焼く方が、冷たいかな」
 腕組をして首を傾げ、微笑の形に口元を歪める夫の姿が、たまらなく寂しそうに見えた。
 千鶴子は布団から重たい腕を持ち上げ、その固く結ばれた腕に触れた。
 嫉妬という突発的な感情さえも強靭な理性で制御する夫のことが、千鶴子は時々哀れでならなくなる。
「明日には治るんですから…やきもちなりなんなり、焼いてください」
 この人のやきもちなど――それくらいのものは、千鶴子は病床でだって受け止められる自信があった。
 中禅寺は呆れたようにふんと鼻でため息をつく。
「調子に乗るな」
 低い声でそう呟くと、己の腕に触れる妻の手をそっとはずし布団の中にしまった。


 (終)

リクエスト「中禅寺夫妻」 by tsuさま

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