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京極堂シリーズの二次小説(NL)を格納するブログです。
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行葉(yukiha)
性別:
女性
自己紹介:
はじめまして。よろしくどうぞ。

好きなもの:
谷崎、漱石、榎木津探偵とその助手、るろ剣、onepiece、POMERA、ラーメンズ、江戸サブカル、宗教学、日本酒、馬、猫、ペンギン、エレクトロニカぽいの、スピッツ。aph。
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★中禅寺夫妻


「いやぁしかし美しい奥方ですな。あれに比べたらうちのなんてとても目を当てられない」
 中禅寺は無感動に適当な返事をして、千鶴子が置いていった茶を勧めた。


 男の口調は世辞のようであったが、ねっとりとした目の光には好色さが滲み出ている。
 中禅寺の妻、千鶴子を見た男達の目に妖しげな色が浮かぶことは決して珍しくはない。喜ばしいことではないが、すぐに悪さをされるわけでもなし、中禅寺はそれで機嫌を悪くするような悋気持ちの夫ではなかった。今この時も、目の前の男に対してああまたかと思う程度で、すぐに商談に戻りたかったのである。
 二人がいるのは古書肆京極堂の帳場だ。いくら客の多い家とは言え、普段店の客にまでいちいち茶を振舞ったりはしない。
 平日の昼過ぎに入ってきた客は、都内の大学の助教授と名乗った。脂っこい顔に懐こい笑いを浮かべ、京極堂なら珍本が揃うという噂を聞きつけわざわざ脚を運んだのだと言う。それから半時もの間、亭主と話が途切れないものだから、千鶴子は気を利かせて茶を出したのだった。
 男はもともと喋り好きな気質なのだろう、その上中禅寺がどんな話題にも応えられる博識ぶりだから、どんどん気をよくして話した。話題は男の専門であるらしいインド密教の話から、流行りの芸人の一発芸についてまで、多岐に及んだ。別に店が忙しい訳もなく、中禅寺は誰もが認める能弁家である。客と愛想よく談笑するくらいは(といっても決してにこやかではないのだが)喜んでやる。
 しかし、中禅寺は千鶴子が客に茶を出したのをきっかけに、少しずつ少しずつ、顔色を変えていった。
「昨今じゃあ結婚した女性でも洋装が増えましたねえ。そうなると、見飽きたはずの和服がよくなったりするのはどうしたもんでしょうな。いやぁ奥様は実に淑やかです。仕草も慎ましやかで…。ああ、人様の奥方についてべらべらと、不躾でしたな」
「あの和服は愚妻の趣味ですから、淑やかでも何でもありません」
「謙遜されますなぁ。最近じゃあ服も食事も音楽も何でもアメリカの真似ばかりですからねえ。やけに脚の出た服を着てみたり、ぶわぶわと娼婦みたいな頭をしてみたり。これでは性犯罪が急増するのも無理はぁございませんよ」
 男は朗らかな声で笑った。
 中禅寺は返事をしない代わりに、茶をごくりと呑んだ。湯飲みで隠れない片眉が不穏に動いているが、勘の鈍い客人はまったく気付かない。
「性犯罪はそれをする不貞の輩がいてこそ起きるものですよ。女性のファッションに原因を求めるのは乱暴というものです」
 中禅寺は客人を嗜めるのにできうる限り丁寧な言葉を選んだ。本当は怒気も顕わに注意してやりたかったのだが、相手は店の客である。すでに数冊書籍を購入してもいるし、そういった人物に怒鳴り散らすのは非常識だ。
 しかし、男は中禅寺の発言を何と取ったものなのか、愉快そうに話し続けた。
「まあ私だってアメリカ流のものが嫌いなわけじゃあない。華やかでいいと思いますよ。目のやり場に困ってしまうことはありますがねぇ」
 中禅寺は、はっきりとうんざりした。こういった、真っ当で常識的な人間の厚顔無恥を改心させるには多大な労力が必要だし、わざわざ説教をくれてやる義理もない。彼は彼なりの理屈や思考を持って立派に生活しているのであって、それで何か困っている様子はないのだ。そこを中禅寺が文字通り言葉を尽くしてこの男の認識を改めさせたところで、それはお節介というものである。
 片腕を懐にしまい、ぐびとまたお茶を呑んで、さてどう切り上げようかと考える。しかし、男はてらてらとした頬を膨らませ、また喋り出した。
「女性の文化が変化していくのは別に構わんですが」
 まるで女性の生活は自分が支配して然るべきだとでも言うような口振りだった。
「しかしねぇ、あの女権拡張論者の口調はどうもいただけないですよねぇ」
 中禅寺は勘弁してくれと言う代わりに、両腕を懐にしまって組んだ。
「京極堂さんのように博識な方なら御存知でしょう。ほら織作紡織機の、」
 随分騒がれましたけどねぇ、織作家の事件は。あの使用人に殺された次女というのが、女性解放運動の中心人物だったでしょう。まだ若いお嬢さんなのにねぇ、可哀想なことですが、まぁ敵も多かったんでしょうねぇ。新聞に載った論文なんか読みましたが、やっぱりねぇ、ありゃぁちょっとヒステリックですよ。読みながら私、ちょっと笑ってしまったもんですよ。
 男はそこで言葉を切り、和やかな口調でカラカラと笑った。
 中禅寺は何も言わず、静かな仕草で懐から手を抜き出した。
 帳場の机を一度、強く叩く。
 ばんという乾いた音が、店に並ぶ書棚の隙間、その隅々に響いた。
 男は一瞬何の音なのかわからず、笑い顔のまま中禅寺を見た。
 己でどんな顔をして客を睨みつけているものか、中禅寺は知らない。睨まれた男は、瞬時に顔色を変えた。醜い笑い顔を貼り付けたまま、崩すこともできないようだった。不愉快という言葉で片付かないような不快さをたたえた目に射竦められ、完全に静止している。
「笑う?」
 血色の悪い薄い唇が、冷徹な響きを発した。
「笑ったと仰るんですか?彼女の論文を」
 言葉の抑揚のなさが、かえって中禅寺の心の内を語った。感情の抑揚を無理やりに押さえつけた反動である。
「あ、いや」
 客の男は身の危険でも察したかのように一歩退いた。それに対し、中禅寺は机に手をつき僅かに身を乗り出す。中禅寺の凶悪な目付きがさらに細くなり、一層に禍々しさを増した。男はもう一歩下がる。
 中禅寺が口を開いた、その時だった。
 帳場の後ろの引き戸が、音もなくすっと開いた。
「あなた」
 穏やかな声音であった。実にその場の空気にそぐわぬ、優しげな呼びかけである。
 今度は中禅寺が動けなくなる番だった。
「あなた、関口さんからお電話が」
 微笑をたたえる声で、千鶴子は言った。中禅寺は机についていた手を戻し、ゆっくりと振り返った。
 己の妻と目を合わせると、千鶴子はやはり大きな目を細めやんわりと笑っていた。
 ふっくらとした唇を小さく動かし、まあ怖い顔、千鶴子は声を出さずにそう言った。
 中禅寺は一度瞬きをすると、気まずそうに妻から視線を外し、鼻でため息をついた。眉間の皺は消えないが、凶悪なまでの眼光が消えた。ちらりと客人に目をやれば、男は凍りついたままの姿勢で、虚ろな視線をよこした。まだ怯えている。
「失礼。すぐに済ませますので」
 低い声だがあくまで慇懃に告げ、立ち上がった。
 母屋へ上がった背で、客人に茶を勧める千鶴子の声を聞いた。

 京都で茶のお替りを勧める仕草は「もう帰れ」という意味なのだと、中禅寺は妻から聞いたことがあった。
 電話がある母屋の廊下を歩きながら、疲労感のある首を煩わしげに回した。帳場から離れてみて、頭に昇っていた血がやっと降りてきたのを感じた。
 千鶴子に呼ばれなければ、客人を思い切り怒鳴りつけていたかもしれない。織作家については冷静になりきれぬところがあるのを、中禅寺は改めて自覚した。
 電話のベルが鳴ったことにも気付かなかった。いつだって間の悪い旧知の人物にしては、実に良いタイミングであった。自身が酷く不機嫌であることはわかっていたが、少しだけ救われたような気分にもなる。
 受話器を耳に当てれば、聞き慣れた聞き取りづらい声が言った。
「ああ京極堂。何だいどうしたんだ?」
 中禅寺は一瞬、関口が何を言っているのかわからなかった。
 今耳にした台詞は、普通電話をかけてきた人物が開口一番に言うことではない。
「何だいって・・・そりゃ何だ。君が電話をかけてきたんだろうに」
 思わず先の苛々の欠片がまぶされたような、訝しげな口調で聞き返した。この小説家が年中惚けていることはよくよく知っているのだが、幾らなんでも自分で電話をかけた用件まで忘れてしまう程ではなかったはずだ。
 しかし関口は、中禅寺に輪をかけて困惑を滲ませた声を出した。
「ええ?何を言っているんだ、千鶴さんに電話を取り次がせたのは君だろう?君が僕に話があるからって言って、電話をかけてきたんだぜ?」
 千鶴子が。
 中禅寺は帳場の方を振り返った。見れば丁度千鶴子が引き戸を開けて母屋に入るところで、こちらを向いていた。今まで夫の代わりに客人の相手をしていたのだろう。千鶴子は夫と目が合うと、何か誤魔化すような申し訳ないような微笑を浮かべて、首を傾げた。
 そこでようやく、中禅寺は合点がいった。途端に可笑しくなって、小さく笑った。
「――わかった。そういうことか」
「何だ何を笑っているんだ?だいたい千鶴さんに取り次がせるなんていうのも妙じゃないか。何かあったのか?」
 訳がわからず不機嫌そうな知人に、中禅寺は尚も笑い声のまま答えた。
「いいや、何もないさ。それなら僕の用事は済んでいるよ。悪かったね関口君」
「はあ?」
 電話の相手は陰鬱なくせに好奇心旺盛なところがあるから、話を終わらせようとする中禅寺に益々不満な様子だった。さすがの中禅寺も、今回ばかりは少し申し訳ない気になった。随分大袈裟な言い方をすれば、己の災厄に関口を巻き込んだのである。
「まあ怒るな、謝っているじゃあないか。今ちょっと立て込んでいてね、長くは話していられないのだ。今度聞かせるさ。どうせまた呼んでもないのに来るんだろう?」
「そりゃぁまあ…おい酷い言い草だなあ」
「ふん。今日のことは悪かったね。それじゃあ」
「ん、ああ、それじゃあ」

 中禅寺が帳場に戻ると、客の男は頬を引き攣らせながら、幾分か慌てた様子で革鞄と購入した本の風呂敷包みを手に取った。辞去の意思表示らしい。
「いやぁ長居をして、ご商売のお邪魔をしてしまいました」
 男は睨まれたことが効いているのか、愛想笑いも不自然である。
「いえ、こちらこそ途中で退席してしまって失礼致しました」
 中禅寺は、彼にしては柔和な声色で無礼を詫びると、男は安心したのか僅かに身体を弛緩させた。
「また寄らせて頂きましょう」
「お求めのジャンルはなかなか回ってこないものですからね。良いものが入った時にはご連絡するとしましょう」
「いやぁそれは助かります」
 男は帽子を被ると、中禅寺の肩越しに視線をやった。それに気付いて中禅寺も振り返ると、千鶴子が見送りに立っていた。
「ああ奥様。美味しいお茶をご馳走様でした」
「いいえ、大したお構いもできませんで」
 男の小さな、湿った目が、千鶴子をとらえていた。
 そのほんの一瞬が中禅寺の顔を再び険しくさせ、客人は顔色を悪くして忙しなく店を出たのだが、その理由を知らぬのは中禅寺本人だけだった。

「千鶴子。塩をくれ」

「ちょっと悪戯をしてしまいました」
 店先に塩を撒く夫を見ながら、千鶴子は涼しげに笑った。
「おかげで今度、関口君に話して聞かせなければならなくなったじゃないか」
 パンパンと音を立てて、中禅寺は手のひらの塩を払い落とした。
「ふふ。それだって楽しいんじゃありませんか」
「楽しいものか」
 中禅寺は妻を振り返り、帳場へ戻った。
 寒そうに懐手にして俯く夫は、少し照れているのかもしれないと千鶴子は思った。
「・・・あまり、いいお話をされていないようでしたから」
「ああ」
 帳場に上がって、中禅寺は正面から妻を見詰めた。
 あの客人は、別段非常識な人間ではなかった。ああいった男は存外に多いことを、中禅寺はよく知っている。温和で理知的で、社会的な地位もある、会話をしていても苦にならぬ人間でも、ふと見る角度を変えてみれば偏見を持ち侮蔑の目をする。まるで悪気はないのだ。ただ、己の思考を疑うきっかけとなるような、理屈を持たないだけで。
「ちっとも、奥ゆかしくも慎ましくもないというのになぁ」
「まあ、お言葉ですこと」
 穏やかに微笑む妻を、中禅寺は美しいと思った。愛しいからこそ美しいと、そう思うことは在るのだと、確かめた。
 中禅寺はこういった、言葉を尽くすことが不毛で無粋になりがちなものを、少しだけ苦手にしている。
「助かったよ」
 中禅寺は諦めた気分でそう言うと、そっと千鶴子の、胸の下で重ねられた両の指先を取った。
 千鶴子は大きな目をさらに丸くすると、ゆるゆると頬を和ませた。
 手を握る夫の顔は相変わらずの仏頂面だが、その目はもう、哀しそうには見えなかった。


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