女の人はおしなべてそういうものだろうか。
学生とみると、軽んじてからかいたがる。教えてあげたくなるという。特に僕のようなタイプは餌食になりやすい。真面目そうで、初心そうで、何も知らなさそうで。
甘いよ。
僕はそう思う。
確かに僕は不真面目ではないし、女性のあしらいに慣れているわけではない。それでも、何も知らない訳じゃあない。
いつしか抱えてしまった情の、強度や熱さ、取り扱いの厄介さ、純粋のつもりが裏表に劣情を張り付けていることだって、僕はとっくに知っている。
そうだというのに。
それを知らない彼女ではないはずなのに。
やあ!
と、鈴の音のような声の適当な挨拶が飛んできたと同時に、僕の背中にどんっと衝撃が走った。そしてその衝撃は、背中で蕩けるように柔らかかったりするので、困る。
首にぐるりと巻き付いた細い腕を緩めながら、僕は振り返った。
「・・・お邪魔しています、探偵さん」
目の前には、西洋人形のような華麗な顔が、短く切った栗色の艶やかな髪を揺らしながら笑っている。
「邪魔とはあの馬鹿者達のことだよ小暮君。君は違う」
その声はうきうきと弾んでいて言葉や表情や態度だけは大歓迎なのだが、相変わらず名前が違う。
僕の名前は呉美由紀であって、小暮ではない。三木という名字でもなければ美由太郎という妙な名前でもない。時たま男子学生君とか高校生男子とか、属性を呼称として採用されたりすることもある。(僕の名前が男性の名前として珍妙であることは今は棚上げしておく。)
まあそれも、中学二年の終わりに探偵と出会ってから4年間変わらないことだから、今更気にはならないのだが。
「久しぶりだねえ。やっぱり肌艶が違うなぁ、ほっぺとか」
そう言って、探偵は僕の頬を左右に伸ばしたりふにふにと触り始めた。僕は口の形が侭ならないままやめてくださいと言いつつ、探偵を観察する。今日は特別機嫌が良さそうだ。
この、榎木津礼子という名の女探偵と僕の関係を問われると、正直言って面倒だ。
かつて僕が関わった事件に探偵として登場した人物である。まるで海外の女優のようなすらりとした肢体に人形のように精巧な美しさを誇る目鼻立ちは出会った頃から何処も変化がなく、知り合って長いが正確な年齢は知らない。人づてに三十路半ばと聞いて飛び上がるほど驚いたのはいつだったろうか。(それから時間が経っているから、今や四十路に近いということになる。これだって俄かには信じられない。)
中学三年への進級時に東京に越したついでに探偵事務所に挨拶に行ってから、僕は定期的に探偵事務所に顔を出すようになった。どういった流れでそうなったのか、明確には説明がしづらい。友人というよりは、彼女が使役している下僕達に性質が近いと思うのだが、下僕というほど虐げられているわけではなく寧ろ愛玩されている。愛玩動物、というのは、僕が納得できない。そんなのはいやだ。
ただひとつ明確なのは、僕がこの探偵に特別な感情を抱いているということだ。
友人でも下僕でもペットでもない、と僕が意地になっているのも、ひとつには僕のそういった感情が原因なのだと思う。
わかっているのかなあ。僕はこの頃、本当に不安だ。
至近距離にいられると、時々目の前が暗くなる。もしくは、ぱちっと、火花が散ったような。
「君と比べるとマスヤマはオジサンなんだなぁ」
暢気な声色で、暢気に魅惑の微笑を浮かべて、探偵はふにふにと僕の顔に触れながらそんなことを言う。
「ちょっとぉ十代と比べないで下さいよ榎木津さぁん」
「あははっ比べただけありがたいと思いなさい」
わかっているのかなぁ。本当に。
探偵の、日本人にしては色素の明るい瞳を観察しながら思う。
その宝石のようにつるりとした瞳は、実はここにはないものを映すことができるらしい。お化けとかそういう如何わしいものが見えるというのではない。他人の記憶を視覚化するのだそうだ。にわかには信じられなかったが、彼女の奇異な言動にはそれが事実でなければ到底説明が付かないことがいくつもあったのだ。
そういう性質もあって、彼女は探偵を職業としているし、時には自分を神だと言う。神様は何でも知っているから、彼女は常に正しい。
常に正しいのなら、例えば彼女は、僕の気持ちを知っているのだろうか。
わかっているのなら、その上で行う彼女の行動は、健全な高校生男子には残酷だ。
「あんまいふにふにしないでくらさい」
頬を引っ張るものだから曖昧な発音で文句を言うと、探偵は大きな瞳を僕に向けて、にっこりと微笑んだ。天使のような、女神のような、美しくて端正で、人を惑わすという意味では凶悪の笑顔である。
「だって柔らかくて気持ちいいんだもの。君は骨ばっかりだし腕もお腹も硬いが、ほっぺだけは素晴らしい。しかしあれだな、いつもと逆だとこうも触りやすいものかな」
「なんれすかぎゃふって?」
「こちらの話だよ」
まったく、この探偵は僕に触りすぎだと思う。
僕はにこにこと機嫌よく僕を構い倒す探偵を、少しだけ上から見ながら(僕は長身の類だけれど、この探偵は女性にしてはかなり高身長なのだ。)、体中でそわそわしているのを必死にやり過ごしている。
探偵はきっとわかっていないのだろう。
接近されたら、触られたら、僕はもっと近くに行きたくなるし、されている以上に触りたくなる。それが許されているような錯覚を起こして衝動がわき起こり、それを理性で押さえつける。まさに今この時に。
いつだってこの人は僕に触れるのに、僕はこの人に触れたことがない。
頬だけでも触ってみようかな。ふざけた振りをして。
一度くらい。少しくらい。指先だけでも。
「――また、身長が伸びたね」
その声色と表情の優しさに僕の指先は痺れて、結局僕は、また断念する。
(続)
PR