『薔薇十字探偵の私事』(6)-1
※オリキャラがさらにもう一人。(名前はない)
※タイトルはピチカート的な。
※明日くらいに手直しするから粗は許してつかぁさい。
美由紀さんにもいろいろとあったんだねぇ。てっきり女の子が好きな女の子なんだと思ってたよ。
付き合いも三年目となったルームメイトは、そう言って朗らかに笑った。
「…はあ?」
「いやだって、よく後輩から手紙をもらっているようだったし、もらえば返事を書いているしさ。あまり詮索しない方がいいのかなと思って聞かなかったけど」
口調は男のように堅いが、実際は大きな瞳が可愛らしい少女である。
付き合いはそこそこに長いというのに何という勘違いだろう。しかし、彼女の性格が爽快で言葉に裏も表もないところをよく知っている美由紀は、一度溜息をつくだけで、どうという不快はない。
「…もらった手紙には返事を書かないとまずいでしょ・・・。聞かれないから言わなかっただけで・・・あれは文通とか交際やらを求めている子に、お断りの手紙を書いているだけ。女の子は嫌いじゃないけど、女の子だけが好きなわけじゃないって」
「ふぅん。男好きね」
「語弊がある」
「だってそうやって、男二人も弄んでるじゃない」
美由紀よりも華奢な体躯を寝台の上で小動物のように無邪気に丸めて、彼女は意地悪に笑った。この友人はからかい好きで全く困る。
「…あんな面倒くさいの二人も相手になんて、身が持たないわよ・・・」
「あはっ。言うねぇ」
言うのは彼女だ。無邪気な表情の割に、この少女が時折語ってくれる恋愛近況は凄まじい。
彼女程の経験値があれば、今の混沌も器用に整理し収拾をつけられるのかもしれない。
だから、
美由紀はこの夜、彼女に口を開いたのだ。
「あんまりこういう話をしない貴方が、ここまで明け透けに話してくるところを見ると、茶化しちゃ悪いくらいには悩んでいるんだ?」
ルームメイトは口元を引き締めて優しく言った。
「二股する気もない?」
「ない」
それは、ない。
美由紀がここ数年来想い続けているのは、たった一人だ。他にもう一人どうこうしようなど思える余裕は、少しもない。
ルームメイトは美由紀の断言を見極めるように瞳を細くすると、さらりと言った。
「じゃ、付き合っちゃえば?」
「・・・誰と?」
「一人しかいないでしょ。その、学生さん」
松枝と付き合う?
少しもしなかった発想に、開いたままの唇から狼狽えた声が出る。
「・・・え。どうして」
彼女は、何で何でと聞くのかと言いたそうな顔をした。
「告白してきたんでしょ。それって恋人としてもっと仲良くして頂戴ってお話でしょ。美由紀さんが厭じゃないなら、応えてあげればいいんじゃないの?」
案外、お付き合いの始まりなんて軽いもんなんだからさ。
はてそうなのか。
実体験のない美由紀には、ああともうんとも相槌ができない。
付き合うというのは、確か、恋人になることではなかったのか。恋人になるというのは、相手に恋をしていることが前提ではないのだろうか。
「厭っていうか・・・私が好きなのは・・・」
探偵の方で・・・。
好きという言葉をうっかり口にしてしまって、言葉尻が小さくなる。何せ、初めてなのだ。人に自分の恋愛を語るのが。
彼女ははいはいと軽く二度頷いた。それに反してその表情はーー彼女は、真剣だ。
「あのねぇ、かないそうもない片思いなんて、さっさとやめちゃいなさいよ」
彼女は、それは真剣にそう言った。
「探偵でしょ? 大人でしょ? 幾つなの?」
「・・・三十代後半・・・と思う・・・」
渋いのが好きなのねぇと彼女は一人ごちたが、誤解を解くには話が長くなりそうなので美由紀は黙った。
彼女は不遜な猫のように丸くなりながら、ふうっと細くため息をついた。
「三十路だか四十路だかの男なんて、さぁ、美由紀サン。十代の女学生に本気になると思う?」
そう、だろうか。
そう、だろう。
いや、でも。
「美由紀さんくらい冷静な人なら、考えたことあるでしょ。考えないようにしていたかもしれないけど、でもわかってるでしょ」
「そりゃ、いないわけじゃないと思うよ。年の差カップルなんて腐るほどいる。でも、ほとんどの大人が子供との恋愛を嫌がるでしょ」
何故だと思う?
そう言った彼女の表情が、とても寂しそうに、苦しそうに、見えるから、美由紀はどんどん心細くなる。
「決定的にわかり合えないから、だって」
美由紀の鼓動とは裏腹に、彼女の口調は慰めるように穏やかだった。
「何が? 何を?」
思ったよりも低い声が、早口を漏らす。イライラする。
「何がわからないの? 何をわからないって言うの」
あの人が、私の何をわからないって?
(会って二度目で、私のすべてを見抜いたじゃないか)
私が、あの人の何をーー
(私のことをどう思ってる? どうするつもり? どうして近付く? どうして、)
何をわかっているって言うの。
(どうして私を、どうにもしないのだろう。)
美由紀は、質問を変えた。
「叶わぬ恋って、いつ決まるの?」
彼女は、口をへの字にして、つまらなそうに月並みな答えを口にした。
月並みな答えとは、概して間違いではないことが多い。
***
美由紀が神田に行くのは、古本屋を目当てにしているわけでも、古本屋で出会った青年に会うためでもない。
最初からそうだった。
中学最高学年という奇妙なタイミングで転校してきた美由紀は、「その春の事件」の影響もあって、同級生にも教師にも、家族にも、心を開く気になれなかった。そんな当時、唯一進んで親交を結んだのが、美由紀と同様に「春の事件」に関わった探偵、榎木津礼二郎だった。
そんな過去が、近いようにも遠いようにも感じる。
あの事件の全てを受け入れることなど、きっと一生できないだろう。
しかし、忘れることもできないのだ。
深く深く自分の中で根付いてしまって、美由紀の一部を確実に成している。思考の道筋、感情の起伏、知人友人、恋愛にまでも。
事件から四年が経っている。四年も、だろうか。四年しか、なのだろうか。
怒りも、悲しみも、未だ生きた感情だった。過ごした四度の春のすべてで、感情に引っ張られているのやら、体調を大きく崩した。来年も、きっとそうだろう。美由紀は中学校の卒業式をその体調不良で欠席していて、高校の卒業式も危ういことは容易に想像できた。
何もかもが、「相変わらず」だと思っていた。
親から離れ東京で暮らし、定期的に事件の関係者と友好を深め(よりにもよって恋をし)、友人は狭く深く、同世代の男子にはあまり関心がないからいまいち色気がない。
問題を感じているわけではない。別によい、というのが正直な気持ちだった。
相変わらずでも、いい。
榎木津を好きなままでも、いい。
それが自分らしいと、美由紀は思っている。
隣を歩く背の高い人の低い声を、右耳に落っこちてくるように聞きながら、返事を思考し、言葉にし、同時進行で美由紀は思考していた。
古本が無数に集まってできたモザイクは、神田の町をセピア色にする。空はわざとらしいほどに青く、白い日差しは凶悪に暑い。
四年前もこうだったろうか。
ただ、その頃は、一人で歩いていた。
榎木津と、あるいは探偵社の人物以外と、神田を歩いたことなど、今までなかったように思う。
「それでね。好きなんだ」
横の松枝が、何の躊躇もない接続詞をくっつけてすぐ、恋を告白した。
美由紀は思考を停止し、しかし古書店街を細長く歩くのはやめない。
有言実行、という四文字が浮かんだ。
古本屋京極堂の奥、中禅寺宅の台所にて、美由紀に告げた通りの言葉を松枝は口にした。
確かに松枝はあの時「言い直す」と言ったけれど。
まさかこのタイミングで言われると思っていなかった美由紀は、
「あり、が、とうございます」
と、何の飾り気のない、ただし率直で正直な言葉を、告げた。
彼もまた、後ろめたく思うほどに好きと思っているのだろうか。
歩きながら、松枝を見上げる。背が高いから、頭を上げなければ表情まで見て取れない。
そうして見上げた松枝の表情は、静謐で美しく、後ろめたさなど少しも見えない。
「どうしてそんな、さらっと言えるんです?」
単純に疑問に思って、そう聞いた。
松枝は思案の沈黙の後で、呟いた。
「いつも、言いたいと思っていたから」
その告白に美由紀が驚きの声を上げると、松枝は(美由紀にとっては雄弁な)無表情で見つめられた。
非難するような無表情だった。それから、片手を後ろ首に当ててもみ解すような仕草をした。松枝がよく見せる癖だった。
「言いたくなるものでしょう。こういうのは」
小さな衝撃に、体のどこかが軋む。
***
付き合って欲しい。
と、言ってくれたら断れたのに。
松枝といつも分かれる交差点を過ぎ、一人で歩く中考える。
松枝は、京極堂で言ったように確かに言い直しはしたけれど、美由紀に何も求めなかった。
だから、する返事がない。
受け入れることも、拒絶することもできなかった。
無視したらいいことだとは、美由紀には思えなかった。松枝は得体の知れないところがあるが、美由紀の目に松枝の告白は、誠意のあるものに見えた。
そうかと言って、ルームメイトの助言通りに、では付き合いますかと決断することはできない。
恋人というのは恋する人のことを言うはずだし、付き合うと約束することは恋人になるという意味だ。
もちろん、世間の恋人同士のルールが一様ではないと知っているけれど。
松枝のルールも、また、美由紀と異なるようだった。
嫌悪を抱いているわけではない。ただ、わからない。
松枝と、自分と、同い年くらいの一般人と、そうして、大人。それと、榎木津。
恋心とは、それぞれが違うのだろうか。
そうだとしたら、何が恋で、何が愛情で、何が好きで、何がーー
違う。
あの人が、探偵が、
何が好きで、何が愛情で、何が可愛くて、何が恋しいのだろう。
そうだ。
それだけだ。
そういった想像を、一人歩く夏の空に浮かべる。
榎木津ビルヂングの各階に通じる階段は涼しい。
凶悪な日差しが入る隙はなく、下から上へ上る風がある。紺のスカートが緩く吹き上げられるが、その威力は女性が困るほどではない。
静かだった。
ことことと、美由紀の革靴が段を叩く音がよく響く。
心臓の音までも大きく聞こえると思って、自分が酷く緊張していることに気付いた。
甘く幸福であるような、後ろめたいような、苦しいような、一色ではない緊張感が、一段上がるごとに心を埋める。
静か、ということは、榎木津が不在か、まだ寝ている可能性があった。
居ないなら仕方ないし、寝ているならーー
起こすまでか。
例え何も伝えられなくてもーー今までずっとそうだったようにーー会えたら、ある程度は満足できる。
後どれくらいの時間、そういったことを言っていられるのだろうか。
美由紀は計れないまま、静かな探偵社の扉を開いた。
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