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★探偵×女学生
※百器/徒然袋「鳴釜」をふまえていますが、ネタバレはしていないつもりです。たぶん。
土曜日の午後、探偵とその助手と談笑していると、カランと控えめに鐘が鳴った。現れたのは、探偵の友人である本島と、見たことのない若い女性。女性の腕には、生まれて間もないだろう赤ん坊が抱かれている。
「どうも榎木津さ」
「赤ちゃんだ!!!」
探偵は本島の挨拶を思い切り突っ放し、ソファの背もたれをひらりと飛び越え、文字通り一足飛びで赤ん坊のもとへ駆け寄った。この探偵は、日頃の傍若無人な態度に似合わず、それはもうものっすごい子供好きなのである。探偵は大好きな赤ちゃんを目の前にして、うわぁとかすごぉいだとかの感嘆符ばかりを喚いた。
「ああ益田さん、呉さんもどうも」
本島は苦笑いのままでこちらに挨拶した。今日はいつもの作業着ではなくシンプルな洋装で、少しだけ若く見える。女性は赤ん坊に見入る探偵のせいで身動きが取れずに、視線だけ寄越して会釈した。小柄で、少女のような軽やかさのある女性だ。
立ち上がって会釈を返すと、横にいた益田が大きな声を出した。
「おやぁ本島君に、あなた・・・早苗さん! こりゃぁお久しぶりで」
早苗と呼ばれた女性は微笑みを浮かべながら「その節はお世話になりました」と返した。
「美由紀ちゃん、こちらは・・・本島さんの姪御さんでね、以前もここに赤ちゃん連れてきてくれたんだよ」
益田は私に向かって説明してから、探偵に向けて「ああ榎木津さん、赤ちゃん寝てるじゃないですかぁ」と気遣った。それも当然で、どうも探偵は赤ん坊を抱っこしたくて仕方ないらしい。
「何ヶ月ですか?女の子?」
「二ヶ月です。男の子」
答えた早苗は、薄紅色の頬で笑った。それから早苗は根負けしたのか、赤ん坊をそっと探偵に手渡した。
ああ、起こしたら泣いちゃう。
そう心配したが、赤ん坊を抱く探偵の様子に、私は思わずどきりとした。
探偵は赤ん坊をその長い両腕で包み込むように抱いて、小さな頭にそっと顔を寄せた。その表情はあまりに安らかで、よしよしと言う低い声はこの上なく優しい。赤ん坊はよく眠っているのだろう、声ひとつ上げない。
「あら本島さん、いつの間にいらしたんで?」
和寅の声をきっかけに、私は探偵から視線をそらした。
「何だい益田君、お客様を立ちっぱなしにさせて。ささどうぞこちら座って下さい。今お茶出しますからね」
ようやく客人が腰を落ち着けても、探偵は上機嫌で赤ん坊を抱っこし続けていた。自分の机に寄りかかるようにして赤ん坊を眺めている。時折会話の合間に、探偵のあやすような、もしくは驚嘆しているような声が入り込んで、その度に私は話に集中できなくなったりした。
聞けば、本島と早苗は常日頃から赤ちゃんを連れて来いとうるさい探偵のために、生まれて間もない早苗の長男を連れて来てくれたそうである。早苗の方は、この赤ん坊を授かったのは探偵のお陰で、ぜひ挨拶がしたかったのだとも言った。そうなら並々ならぬ世話の仕方であるから詳細が気になったけれど、聞くのは何となくやめておいた。本島は元々仕事の依頼人だったと聞いたことがあるし、もしかしたら早苗と関係があったことなのかもしれない。
「今日は上のお子さんは? 梢ちゃん、でしたね」
「出かけに寝付いていたものですから、主人に任せてきてしまいました。今年で四つになったんですよ」
「四つ!もうそんなになるんですねぇ。あの時も榎木津さんが喜んで喜んで。泣いてる梢ちゃんを放しませんでしたよねぇ」
そう言って益田がケケと笑ったのと、探偵の声が響いたのは同時だった。
「ああっ、起きた!赤ちゃんが起きた!」
何事かと思えば、探偵の腕の中で大人しくしていた赤ん坊が、短い手足をうにうにと動かしてぐずっている。あらあらと、早苗が赤ん坊に駆け寄った。
「ぅわはははは愛い!おもしろいなぁ。あっ、うわあ泣きそう!泣く!泣くぞ!」
先程までの穏やかさが嘘のような大騒ぎで探偵が宣言すると、それに合わせたかのように、赤ん坊は元気な泣き声をあげた。さらに何がそんなに嬉しいのか探偵が高笑いをするものだから、これが夜なら間違いなく苦情が来る騒音になった。
「あーあぁ、すごい既視感だぁ」
益田が脱力してぼやく。前もこんな大騒ぎをしていたのか。
その騒ぎは、早苗が探偵から赤ん坊を奪還して和室に引き込み、やっと止んだ。
当の探偵は、足取りも軽やかに応接ソファに近づくと、益田を手の甲だけで追い払って私の横にかけた。すぐさま和寅が探偵の前に珈琲を出す。いつ来ても見事な主従関係だと思う。
「ああ面白かった。ん。それはあの時の赤ちゃんかい?」
探偵は本島に目をやりながら言った。
「あの時?ああ梢のことですかね」
「赤ちゃんが女の子になっている!わはは可愛いなあ。実に偉い!」
横にいるだけで酔っ払いそうな機嫌の良さだ。探偵を見ているだけで、私まで可笑しくなってきてしまう。
「可愛いと偉いんですか?」
私は思わず笑いながら口を挟んだ。
「偉いとも!僕を喜ばせてるのだからね、これは偉い。この権佐とかこのカマよりはずっと偉いぞ」
権佐とは本島のことであるらしい。
そこで立ったままソファの脇に控えていた益田が言った。
「じゃ、美由紀ちゃんなんかは随分偉いんですねぇ」
にやりという笑い方が、何だか思わせぶりだと思った。
探偵は益田には目もくれず、隣の私を見る。
「うん。女学生君も可愛いからねえ。偉い偉い!」
満面の笑みでそう言うと、彼の大きな掌が私の頭を撫でた。
ああそうだ。
この手は、一週間前に私の手を握ったものと同じ手だ。そんなことを思ったら、どうしてか息が詰まった。
「可愛くないから偉くないですよ、私は」
心のざわつきを誤魔化すために、珈琲カップを口に運ぶ。益田も余計なことを言わないでほしいと思った。
探偵はさっさと向き直って、本島と益田を相手にくだらないことを言って笑っている。それはすでにいつもの景色で、私が苦しくなるようなものは何もないのに、私は何を気まずがっているのだろう。
頭を撫でてくれた掌のせいか。よくわからないが偉いと褒められたことか。
ああ、可愛いと言われたからか。
彼は可愛いと思えば、男だって老人だって便所の蓋だって可愛いと評する。
だから――
「美由紀ちゃん? ぼんやりしてどうしたの?」
益田の一言で、探偵と本島も私に目をやる。三人分の視線にさらされて、私は顔が熱くなった。
「――何でもないです」
自分に言い聞かせて、私は乱された髪を直した。
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