アクセルとブレーキが交互に踏み込まれているみたい。
想像していたよりも細くて柔らかくて温かい感触と、力強い弾力性を、この腕や掌で感じる度に、意識がふっと遠くなる。遠くなった瞬間に、僕は彼女のブラウスの襟口を指先で押し広げて、僅かに肌けた首を吸った。皮膚の薄さとその下の躍動を唇と舌先で撫で、極狭い範囲ではあるが紛れもなく彼女自身の味だと実感する。
ぞわりと体温が上がる。もっともっと、どこもかしこも彼女のすべてに触れたくて、耳たぶに、頬に、唇を落とした。
「はあ」
熱のこもった吐息が漏れる。彼女のものだったかもしれないし、自分のものでもあった気がした。
やばい。
下半身を初めとして僕の全身が異常を来している。
いいのか、これ。
ブレーキを、かけようとする。
いいのか。この人にこんな風に触れて。
そう思っているそばから、彼女は僕の髪を撫でたりするから、アクセルがかかるから、
額に、目の縁に口づけて、しなる背や華奢な肩を撫でて、
上等なブラウスの布地も下着の紐の感触も煩わしくて、
顔を上げれば宝石のようだけど有機的な、抗いがたい意志を持った瞳が僕を見ているから、
彼女が強く僕を求めてくれるから、
僕はきっとそれ以上に求めているから、
僕らは唇を触れ合わせ、やがて舌を絡ませた。
「好き、だ」
「うん」
「なんか、凄く」
「うん」
唾液が交じり合う音が止まない深い口づけの最中でも、沸き上がるのはただ恋を訴える感情だった。
こんなに好きなんだ。こんなに好きだ。既に相手に告げてしまったというのに、今更強く実感している。
僕は口づけを続けながら、おずおずと体を持ち上げた。今の状態で探偵と体を密着させておくのは恥ずかしすぎる。だって、
キスだけでイけそう。
息が上がるまで互いの口を濡らし合ってからどちらからともなく離れて、すぐに物足りなくなって、おまけに探偵はもの言いたげな顔をするし、だからまた、口づけた。
濡らしてしまった彼女の唇を拭ってやると、探偵は僕の頬を両手で包み込むようにして語りかけた。
「君はさ、紛れもなく健全な男子学生だよ」
「・・・さっき聴きましたけど」
この期に及んで何を言うのかと思う。
探偵の声はしっとりと湿っている。
「思春期まっただ中の青少年に、無自覚にくっついたりするほど私は馬鹿じゃない。無神経でもない」
あ。
僕はすぐに気付いた。
「可愛ければ誰でも彼でも抱きつくような破廉恥でもない」
「はい」
とっくにいかれた頭でも、今の彼女の謎かけはわかる。
「わざとなんですね」
いつもずっと、そうならいいと思っていた。
彼女の不可解ではた迷惑なスキンシップのすべてが、僕にとって願ってもない状況を作り出す策であればいい、罠であればいいと、僕はずっと思っていたのだ。
僕の指摘に、探偵は一瞬不機嫌そうな顔をすると、小さな子供のようにぷいっと目を背けた。
変な人だ。いきなり抱きついてあんなに深い口づけをしてきたというのに、照れているなんて。こんなことをしておいて、こんなに好きだと言わせておいて、すべてあなたの思い通りだと言うのに、何を今更。
こんな風に告白をしておいて、今更照れても、遅いんだ。
「探偵さん」
僕は膝立ちになって、学ランの釦をさっさとはずした。探偵はなんとも読みがたい表情で僕を見返した。下から見上げられるという角度のせいなのか、なんとなく視線に甘さがある気がした。
ああやばい、本当。
学ランを寝台の下に放って、その次はどうしよう。
どっどっどっと胸の中で異常事態を知らせる警報が鳴っている。
探偵の腕が伸びて、僕の胸に触れた。白い手だ。植物の蔓とか、百合の花だとかを連想させる。
僕が確かにわかっているのは、なんだか信じられない事態が起きているということ。そうして僕は、それを絶対に、回避しないということ。
制服のシャツ越しに、ひんやりとした指先がある。シャツの布地ごと、僕はそれを握りしめた。
「わかってるんですか?僕は」
「わかってるさ」
探偵はシチュエーションに似つかわしくない快活な調子で、僕を黙らせた。
それならいい。彼女がわかっているのなら、なんでもいい。
歳の差はありすぎるだろう。僕は学生で、大学にも行くかもしれないから、しばらくたいした収入は得られないだろう。誰かと結婚するなんて、まだ考えたこともない。名門一族特有の問題もあるだろう。ほかにもきっと、今は思いつかない問題がいくつもいくつもあるだろう。
でも、僕の方はそれで、問題なし。
だって、一世一代の恋がこの手にある。
探偵が何の躊躇いもなく僕のシャツの釦をするするとはずしていくものだから、僕は彼女のブラウスの釦を指先が震えそうになるのを必死でおさえながらはずしていかなければならなかった。
最後の釦をはずし終えた時、探偵は言った。
「君こそちゃんとわかっているのかなあ」
眠たそうにそう言って、ちらりと僕の頭上に視線を走らせた。
「何が?」
「私にとってはというなら、答えは別だと思わない?」
――あなたは、僕を、何だと思っているんですか?
「美由紀君はね」
「え」
悪戯をした子供のように、ふふっと笑う。
「私の最愛の人」
これだね!
そう言って、彼女は朗らかに笑った。
窓から柔らかに差し込む太陽が、寝台に広がる彼女の明るい髪を輝かせている。
僕は唐突にこみ上げてくるものに逆らえず、目の前が、きらきら光りながら涙に霞んだ。
終わり。
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